クレイマークレイマー③(サウジアラビアとアフガニスタン)
「アフガニスタンからのアメリカ軍撤退と先週末の9.11から20年。9.11って、なぜ起こったんですか? オサマ・ビンラディンって、『最初から反米意識が高かったわけじゃない』って聞いたけど、なぜ反米に?」
そもそもは、サウジアラビアにアメリカ軍が入ったことがきっかけです。
1990年の湾岸戦争に勝利したイラクを脅威に感じたサウジアラビアは、アメリカに国防を依頼して、5万人ものアメリカ兵がサウジアラビア国内に入りました。イスラム教の二大聖地、メッカとメディナがあるサウジアラビアの誇り高いイスラム教徒にとっては、「異教徒に母国を踏みにじられること」が耐えられなかったのです。
財閥ビンラディン家の6男だったオサマもそのひとりで、猛反発したあげく国籍を剥奪されて、一族からも追放されて、スーダンに行っても追い出されて、アフガニスタンにたどり着いたのです。
1996年にアメリカとの戦争を宣言したオサマは、1998年にケニアとタンザニアのアメリカ大使館を爆破して、当時のクリントン政権がアフガニスタンに報復ミサイル攻撃をしました。
「自国を守るためなら、予防的攻撃をする」姿勢はブッシュ政権でさらに高められ、「イラクが大量破壊兵器を隠し持っている」と言いがかりをつけて、イラク戦争が始まりました。大量破壊兵器なんて、結局、見つからなかったのに。
1980年にモスクワオリンピックをボイコットした原因は、アフガニスタンにソビエト連邦が軍事介入したことだったんですよ。1989年に侵攻していたソ連軍が撤退して、法や秩序が失われる内戦を経てタリバンが実効支配することになり、テロ組織も介入するようになりました。
対テロ20年、親米国家樹立を目指したベトナム戦争よりも長い最長の戦争の末、多くの犠牲者を出して、アフガニスタンは、焦土と化して、またタリバンが実効支配することになりました。
民間人が爆撃で肉親を失ったら、憎しみが、新たなテロリストを生んでも不思議ではないですね。テロリスト呼ばわりは、失礼かもしれません。「アメリカこそがテロリストだ」と主張するでしょうから。憎しみと殺戮の連鎖が続きます。アフガニスタンから、「第二のオサマ」が生まれるかもしれません。
世界一の軍需産業を誇るアメリカで、武器輸出額の1/4をサウジアラビアが占めているそうです。9.11のテロリストの多くがサウジアラビア人のようですが、数千頁の資料のうち公開されたのはわずかに4頁だけだそうで、残念ながら、今後も多くが非公開のままでしょう。公開してサウジアラビアがアメリカから武器を買わなくなったら、アメリカ経済が成り立たないことになってしまうからです。9.11の遺族が真相究明を求めて裁判を続けても、無駄に時間が過ぎるだけでしょう。